
松田 純一Junichi Matsuda
経歴
山形県立山形東高等学校卒業
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
| 1993年4月 | 弁護士登録(東京弁護士会 45期) |
| 1993年4月 | 馬場一廣法律事務所 入所(現馬場・澤田法律事務所) |
| 2002年8月 | 松田純一法律事務所 所長(現松田綜合法律事務所) |
| 2010年 | 日本弁護士連合会若手弁護士サポートセンター 座長 |
| 2012~2013年 | 司法試験考査委員(行政法) |
| 2014年 | 東京弁護士会 副会長 |
| 2023年 | 東京弁護士会 会長 日本弁護士連合会 副会長 |
- 幼少期
山形県新庄市出身で、田園風景の中で育ちました。野山を駆け回り、川で遊び、牧場で馬に乗るなど、田舎の生活のなかで、活発な少年時代を過ごしました。少年のころから、科学技術や海外への憧れを持っていました
- 弁護士を目指した
きっかけ 大叔父(松田甚次郎)が農民運動に関わっていた影響で、言わば「世のため、人のため」に働きたいと思うようになり、いつしか弁護士を目指すようになっていました。
※松田甚次郎氏は、宮沢賢治を訪ね、小作人たれ、農民劇をやれと諭され、帰郷してからは最上協働村塾を開き、全国から集う塾生とともに農耕にはげみ、託児所や共同施設を設け、山岳立体農業にも挑戦するなどの農民生活の向上と農村劇の公演など農村文化・芸術の確立に生涯をかけて取り組んだ。その実践記録「土に叫ぶ」はベストセラーになり演劇化されている。

- 受験生時代
司法浪人中はアルバイトで輸出入の手伝いや道路工事などをしてお金を貯めていました。そのお金の使い道は、司法試験のためと近場の海外への旅行でした。
- 若手時代
国選刑事事件に情熱を傾ける人権活動の闘志である恩師の下、4人構成の事務所で民事、家事、刑事を担当しながら、人権救済活動や外国人の法律相談にも従事していました。
1日に3~4回は裁判所と事務所の往復、汗をかきながら歩いて通っていたことが印象に残っています。

- 独立時期
独立した時には、最少スペースが30坪と言われ、思い切って、身の丈に合わないような大きなスペースの事務所を借りたのですが、仕事もなく、しばらくの間、事務所内はガランとした「ひとり」状態で、先行きには不安しかありませんでした。
ゼロからのスタートで、しばらくは「先輩などから即決和解の仕事をいただく」という生活を続けながらも、「夢」をもって依頼者の幅を拡げていきました。
独立後も3か月に1回はイソ弁時代の恩師とお目にかかる機会をつくって頂きました。その際、最初は頑張っているねと褒めてくれる恩師が、最後の方になると毎回「ところで、松田君はなぜ弁護士になったのかね」とご高齢に伴って白濁した眼差しで真っ直ぐな問いかけをなさり、その度に自身の弁護士としての志や姿勢を振り返り初心に帰る貴重な機会をい頂いたことに感謝しかありません。

- 全国各地の弁護士、
若手弁護士との交流 若手の頃から、「まずは会ってこい、聞いてこい」と教えられて育ち、人に会いに行き、そこで話を聞く、現場に足を運ぶ、ということが習慣になっていましたので、若手の先生や各地の先生には、直にお会いしてご意見を聞かせていただくというスタンスでの活動をしてきました。
各地では、地域ごとに特性があり、地域に根ざした弁護士の活動をされていることを実感しています。特に、各地では弁護士が重要な役割(オピニオンリーダー)を担っており、今後も、そのような役割を果たせる環境が重要だと考えています。
地域ごとの意見を取り入れ、弁護士会発展のヒントを得ることが大切だと考えています。
若手弁護士が抱える問題は、多種多様なものですが、若手弁護士の有する将来不安に対しては、一緒に解決策を模索していきたいと考えています。

松田代表のイメージ
若手・中堅弁護士の声

- 2011年横浜での業革シンポでは、若手を中心に、全国から情報を集めた企画を行い、目標としていた1,000人の聴衆を集めることができた
- 東弁副会長のときは、あらたに業務課を設立し、若手の業務支援に力を入れた
- 日弁連では若手弁護士サポートセンターでも長年活躍している